Essay

 

【カメラとの出会いと写真が好きになった理由】
 初めて自分のカメラを持った感激を今でも覚えている。父は素人ながら写真には一家言持っていた。父自身、仕事の取材旅行で、資料と称しては日本各地でシャッターを切っていた。当然一人息子にはカメラを買い与えることが自然だった。

 7歳だった。小学1年の秋、フジペットという6X6の茶の革ケースに入ったそのカメラは真新しいケースの革の匂いとともに、私をどきどきさせるには十分な小道具だった。子供にはブローニーのフィルム装填は手に余る。遠足のときは担任の先生に頼んでフィルムを交換した。風景、友達のスナップ。今も残っている何本かのネガを見ると、子供なりに構図を考えて撮っていたことを微笑ましく思う。
 次に買ってもらったのはハーフサイズが流行っていた時代を反映して、キャノンデミだった。フィルム1本で72枚も撮れることが嬉しかった。当時から普通の子供より、撮る枚数が多かったのだ。

   そのキャノンデミで撮ったカットのひとつがその後の写真人生に影響することになる。4年生のときだった。父と母と3人で奥多摩の御獄に登った。山は初めてだった。拒食症気味だった私が、山の空気に感化されて、母の分までお握りを食べてしまって母を狂喜させた。つづら折りに緩い坂の山道を降りてくるとき、父と母が並んで歩くカットを撮った。木漏れ日がちょうど二人を照らし背景の樹影から浮かび上がらせた。タバコに火を付けようとしている父が笑い、母も微笑んでいた。緩くカーブする山道の構図も良かった。

   もちろん子供が撮った偶然の産物なのだが、行きつけの写真館のおじさんは、手放しで誉めたのだそうだ。「これは傑作ですよ」。それを父が嬉しそうに話した。たったその1枚がその後の私の写真への愛着を決めてしまった。 一度だけでも誉められること、それが人生に大きく影響するものだ。

(2001年3月)

 

 

 

Essay

 
 【モノクロームに惹かれて】

 モノクロームの現像やプリントをマスターしたのは、意外と遅く、30代後半だった。10代から自家現像への憧れはあったのだが、家が狭すぎたし、今ほど写真にのめりこんでもいなかった。

 たまたま地元の船橋写真連盟に入ってみたら、やたらとモノクロを焼く人が多い。それも、よくコンテスト系で見かけるような、ガチガチの荒れた高コントラストのプリントではなくて、トーンの良く出た、とても綺麗なプリントを焼く人が多いのだ。これは、顧問の北井一夫さんの影響もあったのだろう。今でもこのグループは、モノクロの割合とその質の高さは全国的に見ても特筆できるものがあると思う。

 これなら自分もトライしてみようか、とある日、いきなり、ステンレスタンクや集散光式の引伸ばし機を揃えた。最初から人に教わるのが大嫌いな私は、何度も失敗しながら、リールに巻くことを覚え、D76の1:1希釈現像からスタートした。人にコツを聞いたのは随分経ってからだ。初めてフィルム現像で像ができたとき、初めてプリントが焼けたときの感動は忘れないだろう。

 実はモノクロを始めた本当の理由はとてもくだらなく、カラーのDPE代が毎月馬鹿にできないことと、プリントに不満で焼き直しさせる手間が阿呆くさいこと。それに、モノクロできちんとした構成で撮影できるようになれば、カラーの写真にも好影響を与えるはずだ、などという打算中心の漠然としたものだった。
 ところがすぐに夢中になってしまった。はっきり言って、同じ物を撮っても、カラーよりモノクロームの方が綺麗だ。自分の意図した絵ができると思った。もっとも風景はなかなかモノにならず、スナップや人物が中心だった。

 転機は、4年後に来た。何気なく偶然に入った、栗田紘一郎さんの個展で、彼の大型プリントに魅せられてしまった。それは英国の風景だった。有名なコマーシャルフォトグラファーだった栗田さんは、あえてその高収入の道を絶って、アメリカに渡り、本格的に勉強した。私がお会いしたころは、8x10という大型カメラで彼の心象を投影した静謐な風景を撮り、日本に数台しかない水平投影型の大型引伸ばし機で、ふすまほどもある大型のファインプリントを制作していた。

 92年春に初めて彼のワークショップに参加した。今ではアメリカで指導者の地位を確立している栗田さんだが、そのときが、彼にとっても初めて教えるワークショップだった。私は彼の一期生である。  

Brookling Bridge 1995

 ワークショップは、ゾーンシステムの理解から始まり、ファインプリント、アーカイバル処理、ドライマウント制作までの本格的な教育だった。

バライタ紙を焼いたのは初めてだった。これ以降、私のモノクロームに対する取り組みは、カラーと並列の写真というより、作品を制作する大きな手段となった。プリントが撮影と同等以上の大切な制作工程であることを肌身で知った。アンセルアダムスが、ネガは楽譜、プリントは演奏と言った、その意味を体験的に理解した。栗田さんの教えてくれた各手順は、今振返っても、極めて基本に忠実で手抜きがなかった。その後、国内のワークショップに3回ほど参加し、95年にはニューヨークで8日間つきっきりのワークショップを参加者3名で実施してもらった。95年当時、すでに栗田さんは日本に帰る意志がなく、米国永住権を獲得されていた。

 彼に指導してもらっていた期間で、俄然、私はモノクロームで風景のファインプリントを制作できるようになっていった。現在、テーマとしてピンホール写真で撮っている、都市の境界的風景も、レンズで撮っていたときに栗田さんに、いいよ、と誉められたのがきっかけだ。(まったく転機はいつも誉められたこと。なんてノーテンキな自分だろうか。)ピンホール写真にせよ、ネガ制作の工程(機械)がレンズのカメラでない、というだけのことで、後半の工程はまったく同じファインプリント製作工程である。

 基本に忠実なファインプリント制作の難点は、暗室作業に時間がかかることで、1日頑張ってもそう何カットも焼けない。兼業写真家としては、土日が貴重なので、これだけは困ったものだ。撮影もしたいし、プリントもしたい。
 自分が設計した6畳弱の暗室が昨年から使えるようになり、これは助かっている。シンクの大きさは幅180cm、奥行き90cmあり、高さも自分に合わせてある。米カルメットから購入した、20X24インチ(全紙)が12枚一度に洗える、アーカイバルプリントウォッシャーがシンクの横にある。

 良くどんなフィルムで撮っているのかとか聞かれる。別に隠す必要もないので、良く使う材料や暗室道具を書いておく。

 フィルム   コダック Tmax400(TMY) 一部Tmax100やプラスX
 フィルム現像 コダック:マイクロドールX 1:3
 現像タンク  パターソン または LPLステンレスタンク
 印画紙    オリエンタル ニューシーガルVC-FB
        一部コダックファインアートS3(現在は製造中止)
        RCペーパーはイルフォードMGW
 印画紙現像  コダック デクトール  1:4に希釈している
 引伸ばし機  LPL (4×5用)散光式

 

参考:栗田紘一郎さんはファインアートプリントのワークショップをニューヨークで積極的に展開されている。
興味のある方は http://www.fine-arts-photo-workshop.org 

(2001年3月)

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