常磐神社について
【船橋市西図書館郷土資料室資料より】
船橋大神宮内の常磐神社は家康・秀忠・日本武尊を祀るとされるが、ここの家康像の胎内には家康の歯がおさめられているという。江戸時代、多くの旗本・御家人が船橋大神宮に参詣にやってきた。その主目的は“東照神君家康様”が祀られている常磐神社にお参りすることであった。その影響は大きく、文政7年(1824)に江戸の町人、竹村立義が著した『鹿島参詣記』中の挿絵「船橋大神宮図」では、常磐神社のことを「東照宮」としている。
江戸時代の船橋人にとって、家康との関わりは自慢の種であったが、江戸人にも船橋と家康は深く結びつけてとらえられていたのである。
【境内の説明より】
社伝によると「有徳院様(吉宗公)にも当宮は格別めでたき御宮と上意あらされ候。(略)東照宮様もご鎮座あらせられ候へば、伊勢日光へ参宮相成りがたき者は船橋へ参宮いたし候へば、伊勢日光参拝いたし候も同じ」と伝わっている。
略記
天正19年(1591年)
常磐の御箱という物に開運の旗と陣弓とを添えて家康公が本社に納める
慶長13年(1608年)
本社遷宮祭の時、家康公は日本武尊の像を作って本社に祀る
元和 8年(1622年)
秀忠公が家康公の前歯や四将の木像を奉納し、常磐神社を造営する
寛永16年(1639年)
家光公が秀忠公の像を納め祀る
※本殿には、中央に日本武尊、左に東照宮と井伊、本多、酒井、榊原の四将を、右に秀忠公に加え、歴代の将軍家を祀っているとのこと。
2023-11-24 ピンホールおよびゾーンプレート